ポルトガル人が日本にまで到達した背景

1,レイナー・ダインハルト個人博物館
(2010年8月13日訪問)

はじめに 2010年第24回MLSAIC世界大会参加のためにポルトガルを訪れた。選手は5名。そのうち4名が世界的に著名なリスボン在住の武器兵器収集家、レイナー・ダーンハルト氏宅と博物館を見学した。同4名のうち3名は、常定、須川、松岡と銃砲史学会の会員であり、全装銃会員と史学会会員を兼ねて、同氏を訪れて、意見を交換した。同氏の父親は第二次大戦前にポルトガル在住のドイツ第三帝国の外交官で、母親はポルトガル人。彼の主たる研究課題はポルトガル大航海時代覇権の背景(日本への鉄砲伝来も含む)、とプロシャの兵器である。「ビィ・ウィット・ガン」と言う著作で、ポルトガルの15-16世紀の東洋における交易、特に武器兵器に関しての研究で著名である。

A.ポルトガル大航海時代の国家戦略 (ダーンハルト氏の談話より)

15世紀後半から16世紀にかけてのポルトガルの主な対立相手はトルコを中心としたイスラム教徒であり、中東からインド、マレー半島に至るまでイスラム圏との戦いは続いた。ポルトガルは「拠点主義」で、エジプトのテナデロステタ、中東のシデダデアムス、インドのゴア、マラッカにと、つぎつぎと拠点を繋いて行く方針であった。さらに単なる搾取(スペイン人のインカ征服と黄金と比較すると)より現地主義で、現地で交易品を見つけ、それを欧州に持ち帰り、利益を得る、同国からの交易品、アジア方面には1万の銃砲の生産と言う長期計画であった。


香料は重要なる商品で、一つのカメで船舶一艘製造に値する利益を上げた。ゴア工廠では15世紀末から大砲、銃の生産を行った。鉄砲のカラクリはニュールンベルグ方式後方から前にハンマーが落ちる、ボヘミアン方式前から後ろに落ちる両方式が造られていた。前者は引き金でなく、ボタンとバネでハンマーが落ちた。また金属と、特に弾丸の材料、鉛はインドに多くを産した。しかしポルトガルの活動は特にゴア以東は海岸線上に限られて、内陸部はイスラム圏であった。


マゼラン・バスコダガマの活躍が特記される。
まとめるとポルトガルの、「拠点主義」と「交易主義」が15世紀後半から16世紀前半の国家的な方針であり、それが遠く日本まで到達する原動力を生んだ。またポルトガルと日本人の接触の最初は1509年マラッカにおけるポルトガルと、現地のサルタンとの戦闘の際と記録されており、その日本人による本国への連絡があったことはおおいに想像に値する。「鉄砲が日本に来ることはすでに伝来約30年前から戦国時代の日本に到達していたと推定されよう。」

B.フランキ砲の真実


ポルトガルはローマ法王庁とは別に、対立する形が世界基督教布教に努めていた。イエズス会である。鉄砲をほとんど同時にフランシスコ・ザビエル宣教師は日本に到達し、足利将軍に転輪式火打ち式銃を献上していた。また大友宗麟、クリスチャン大名にはフランキ砲を献上(交易)した。その数は10門くらいと推定される。
フランキ砲はリスボンの博物館で多く、観察することができる。
ほとんどが火薬・弾丸を込める後装式分離式部品が欠落しているが、
幸運にも1門に装着してあり、くさびを外すことができ、子砲を着脱した。もしこれがもう少し完全なものであったなら、射程、正確度、多くの砲は早くから後装式になっていたはずだ。

2,リスボンの軍需博物館
(2010年8月16日訪問)

海岸の近くの古い兵舎を利用した広大な博物館で、中庭には約200門の青銅砲が並べられている。このことは「ゴアで1万の砲を作る」と言うポルトガルの政治的な方針をある程度証明している。
地下の展示場にも膨大な鉄の砲が展示されている。後装砲、フランキの子砲が入っていた。Tさんがくさびを抜いた。近くにいた係員に構造を観たいと依頼したら、くさびを抜き、子砲を取り外してくれた。子砲の内径は小さい、その取り付け方法、仕組みなどを詳しく観察することができた。

火薬の煤などを考えると、砲腔より小さめの弾丸、少ない火薬、近距離で使用したと予測される。
この博物館は回廊式で、火縄銃は、ニュールンベルグ方式、ボヘミアン方式、日本に伝来した原型(火打ち型だが)などが数多く展示されている。砲も圧倒的に多い。砲がポルトガルの交易品、これで大分利益を上げたことは自明である。日本に小型のニュールンベルグ方式が来たのは船舶搭載と言う意味では自然なことであった。

膨大な大砲の列


3,ポルトガル海洋博物館
(2010年8月14日訪問)

リスボンの街を海岸沿いに行くと、軍事博物館から車に乗り、10分間くらいで行きつく。ポルトガルの15世紀から現代までの商船、軍船、その他の船、艦艇、水上機、海に関するものは何でも展示してある。最近のものではソマリア沖海賊の展示もある。
武器兵器、と当時の精密な模型。これが大変に役に立つ。この博物館もどうしてこんなに大きなものが出来たのか不思議なくらい大規模なものだ。そしてこの国はやはり「大砲」の国のはしりであった。
大砲はどこにでも置いてある。
現代の艦艇では日本のように戦艦、空母、大型潜水艦などはない。
もう20世紀には小国になっていたからだ。

16世紀に世界の海を征した艦船。

バスコダガマ、マゼラン、彼らの功績は大きい。彼らのあとにスペインや英国の航海時代の活躍があったからだ。そのモニュメントは博物館から海の向かったところにある。

中東、東洋などの船の実物

現物を観察する事により、多く議論された疑問は次々と解決されて行く。