陸上自衛隊武器学校技術資料館展示

写真1陸上自衛隊武器学校本部館 旧日本帝国海軍予科練本部、本年3月より撤去され新建物になる。

武器技術資料館は、小火器、弾薬、火砲、車両などの総合的な展示を目指す施設である。

展示主旨について
武器技術資料館は日本の近世、近代約250年間の武器技術を実物により、先人の技術に対する考え方、工夫などと、その歴史を説明することを目的にした具体的な展示である。

昨年11月15日に新装再開した小火器資料館は、今後の武器技術資料館の方向性を示す展示のひとつであり、同月、当日本銃砲史学会においても見学を行った。

時々の時代特徴を研究するために小火器館は幾つかのブロックに分け、小火器、地上兵器、航空機兵器、車両搭載兵器などに分類した。また日本兵器と同時期の外国兵器も展示し、それらが使用された時代背景の理解を図っている。

そして、「過去60余年間、一発も撃たず、一人も倒さず」の、日本の平和・民主期の歴史的価値をも、これらの展示から再認識して貰えればという思いが込められている。

昨年、4月学校長より武器技術資料館顧問の委嘱を受け、資料の分類、展示コンセプトとレイアウト、説明文の統一、展示品の修復などの作業を同校スタッフに手伝った。

8月に新校長が赴任されたが、前任者の意向を引き継ぎ11月15日開校式典に間に合わせた。しかしまだ作業はこれからも続く。

管理は武器学校広報班が行っている。

A 小火器館

一つの建物に管理されているが、今後の一般展示は週一回の予定だが未定である。

①壁面展示

第1面 日本の火縄銃と気砲

写真2 日本の火縄銃、薩摩筒があるが完全品はない。手前のケースに気砲が収納

日本の火縄銃は16世紀半ばに伝来し、戦国時代に大規模に使用された。

1600年、関が原戦闘の頃は約30万挺が全国に存在していたと推定される。そして19世紀半ばまで同じ機構のまま存在した。日本が鉄砲国であった証左だが。

前装式で、火薬と丸玉は銃口より装填し、発火には火鋏(バネで落ちるハンマー)の先に付けた燃える火縄を、引き金を引き、火皿の火薬に落し、銃身内の発射薬に着火させる。発射はバネの力で瞬発する。銃身は鍛鉄製。

銃には何種類かあり、戦闘で使用された銃は全長1,300mm、銃身長1,000mm、口径12.5mmほどのもので、有効射程距離100m、分間2発半ほど発射でき、2-3000の発射に耐える。

日本では伝来より、「射撃方法」の研究が熱心になされ、江戸期には武道として「砲術」に数百の流派があったと言われている。機構はバネの形や位置などで数種類に分類される。

江戸期、日本人が西欧の火打石銃を知らなかった訳ではないが、採用しなかつた。

その証拠に18世紀西欧の気砲(空気銃)は作られていた。気砲の実物がケースにある。

堺、国友が2大鉄砲生産地だが、全国各地に銃工(鍛冶)がいた。

一般的な銃の他、十匁筒(18mm)、六匁筒(15mm)、馬上筒、短筒などがある。

なお、日本の火縄銃は、口径を西欧の砲のように弾丸の重さで言った。

火縄は木綿、竹などの繊維に硝石をしみこませ、1・8mほどの長さで数時間もった。

弾丸は鉛製、鉄製玉型で製造した。

野戦では「早合」を呼ばれると呼ばれる筒に、火薬と弾丸を一体化し、これを銃口に当て装填に使った。 不完全ながら「種子島作」の鉄砲がある。

第2面 幕末の輸入銃とその処置

写真3 幕末輸入銃 シャープス騎兵銃とゲベール銃、下はゲベールの調練銃

鎖国中の日本に19世紀初頭から外国船が現れ、国防意識が高まった。

高嶋 秋帆、江川 英龍などが西洋式兵器、軍術を研究した。幕末に、幕府及び各藩が、西欧で急速に発達した小火器、前装式火打石銃から後装式金属薬莢ライフル銃まで様々な小銃、騎兵銃、拳銃などを推定約70万挺輸入した。

明治政府はフランス軍事顧問団に、これらの小銃の統一を依頼し、全国から小石川に集められた小銃の中からエンフィールド銃(口径約14.66mm)を後装式にした、スナイドル銃(横に開ける)、アルビィーニ銃(前後に開ける)、同じ弾薬を使う、に統一した。

銃剣はエンフィールド銃剣だった。展示は残念ながら滑腔のゲベール銃のみ。

その他、スペンサー騎兵銃(口径12.5mm)(展示)、ヘンリー銃(口径11mm)、SW2型拳銃(口径・32インチ)なども残した。他の小銃は輸出した。維新直後に、日本国が速やかに推定10万挺の小銃に統一したことの意義は大きい。

第3面 明治初期の国産銃

写真4 村田大佐開発の十八年式村田銃11mm口径と、下は二十二年式歩兵銃と騎兵銃8mm口径

明治政府は欧米で発達した金属薬莢を使用する軍用銃開発を村田 清六少佐に命じ、およそ10年間で、「十三年式」小銃、口径11mm、改良型「十八年式」小銃を制定、東京砲兵工廠小石川小銃製作所において総計13万挺を製造した。展示は十三年式。

こう棹式(ボルトアクション)単発銃で、こう棹内部の松葉バネを使用し撃発した。

欧州の幾つかの形式を参考にした開発だった。有効射程距離は約200m。

歩兵銃と騎兵銃があり、長い銃剣を使用した。日清戦争中の兵器だった。

さらに明治22年(1886年)連発銃として「村田二十二年式」口径8mmを制定。当時世界最先端の技術、無煙火薬(一部の弾薬)、被甲弾丸(フルメタルジャケット)、メトフォード式ライフル4条を採用していた。

連発機構は筒型弾倉(チューブ弾装)で、歩兵銃は7発、騎兵銃は5発を収納した。

東京砲兵工廠小石川小銃製造所で約13万挺が製造され、1900年、北進事変に装備された。

極端に小型の銃剣を使用した。当館には完全な歩兵・騎兵銃が展示されている。

第4面 6・5mm口径小火器

写真5 三年式重機関銃と九六式軽機関銃

日本は1898年、「三十年式小銃」を制定し、以後約30年間、小火器には6・5mm口径弾を採用した。小銃では日露戦争(1904-5年)の主要兵器「三十年式小銃」(約60万挺が製造された。)「三十五年式小銃」(1905年、海軍用)、「三十八年式小銃」(1905年)、「四十四年式騎兵銃」、「三年式重機関銃」(1914年)、「十一年式軽機関銃」(1923年)、「九六式軽機関銃」(1936年)、「九七式狙撃銃」(1937年)などで、同じ弾薬を使用した。主なるものは展示されている。6・5mm口径小火器は総計400万挺くらいが製造され、一部英国などに輸出された。

日本は終始、メトフォード式ライフルを使用した。初期の腔箋(ライフル)6條の銃は先端が丸い弾丸、4條になり尖頭になった。6・5mm口径弾薬は1937年頃、装薬、弾丸ともに改良され第二次大戦終了まで使用された。半起縁(セミリムド)であった。

どの銃に関しても精度の良い口径、弾丸と言う評価を受けていた。

多くの銃、軽機も含め「三十年式銃剣」を装着した。展示の銃剣は鋳物製。

日本の機関銃導入は1898年のホチキス機銃を日本の6・5mm口径弾薬版「保式」である。

空冷、ガス圧利用、保弾板給弾(30発単位)、爾後、「三年式機関銃」、分隊兵器の軽機関銃「十一年式」(1922年)南部 麒次郎氏開発とホチキス方式が主流となる。

「九六式」軽機は世界に類のない眼鏡照準が装着できた。

これらの兵器とともに使われた分隊兵器、十年式擲弾筒と発射ブースター付手榴弾展示。

第5面 日本の7・7mm口径小火器

写真6 九九式軽機関銃と防盾

日本の7・7mm口径弾薬と兵器は、車両や航空機の発達で採用され、炸裂弾、焼夷弾、徹甲弾、曳光弾などに加工出来ることから、当初、1932年、「九二式重機関銃」に採用された。

海軍はルイス式機銃(これも九二式と呼ぶ)に起縁型(リムド)0.303弾薬を採用、航空機固定機銃にも使用したが、陸軍の弾薬とは互換性はなかった。

陸軍は半起縁(セミリムド)、無起縁(リムレス)弾薬を7・7mm小火器に使用した。

「八九式航空機固定機銃」(セミリムド)、「九九式小銃」、「九九式軽機関銃」、「九七式車載機銃」(リムレス)などの第二次大戦用に準備した主要小火器はこれらの弾薬を使用した。

日本の7・7mmはアメリカの30-06弾薬に限りなく近い威力のある弾薬だった。

なお、九九式小銃、九九式軽機は以前の6.5mm口径銃とほとんど同じ機構をもっていた。

銃剣は6・5mm小火器兵器と共通の「三十年式銃剣」、黒染め、直鍔型であった。

「九七式車載機銃」7・7mm口径は日本の多くの戦闘車両に搭載された。機構はチェコ機銃であり弾倉もチェコ機銃と共通であった。カットモデルが展示されている。

1932年、口径7・7mmの「九二式重機」が、39年「九九式軽機」が制定されたが機構は6・5mmと同じであった。なお、九二式重機は7・7mm口径のセミリムドとリムレス、共用だった。展示の三脚架は密林仕様の色。

給弾は、重機は保弾板、軽機は装填架か箱型弾倉。製造は日立兵器社が殆どであった。

軽機と同様の分隊兵器八九式擲弾筒と50mm榴弾が展示されている。

第6面 教練銃

写真7 壁面左が7・7mm小銃、台上が九二式重機関銃。壁面右が教練銃各種

日本は1920年代後半から終戦まで各種学校で教練が実施され、陸軍配属将校が指導した。教練に使われた機材は、小銃、銃剣、装具、軽機関銃、擲弾筒、手榴弾、擬製弾、

空砲弾、狭窄弾、など多岐に渡り、様々な民間会社が製造した。

軽機関銃だけでも10数種類あり、本体は鋳物を使い、簡単なブローバックシステムであるが空砲、木製弾丸、狭窄弾などが連続発射できた。

銃剣は鋳物製である。ここには金山式軽機関銃、井澤式小銃、兵林館模擬小銃がある。

教練用機材の多彩さは世界に類のみない日本独特のものと言ってよい。

なお、大学などでは払い下げの実物兵器が使用されたが、多くは大戦末期に回収され、新たに編成された部隊に配備された。

第7面 自衛隊の銃

自衛隊は米軍供与のM1ガーランド小銃30―06を装備し始まったが、小銃の国産化は豊和工業が手がけ、1950年代後半より試作品が作られた。展示は、

「64式小銃」試作品。

「64式小銃」7・62mm口径 全長9,900mm、4・3kg、4条右回、20発弾倉

「89式小銃」5・56mm口径 全長9,160mm、3・5kg、6条右回、20、30発弾倉、単、連、3射に切り替え可能。

写真8 壁面左が初期に米軍より供与されて銃器、右が国産の銃器

「62式機関銃」7・62mm口径 ベルト給弾システムだが、旧日本軍の軽機に似ている。

「74式車載機関銃」12・7mm、・50口径ブローニング方式。

「アーマライト18小銃」5・56mm口径はアメリカで「M-16」の後継として開発され、89式小銃の参考になった。豊和製が展示されている。

いずれも命中精度優秀性が評価されているが、部外者に撃たせたことはないそうだ。

軽機では他国共通分隊兵器軽機関銃「ミニミ」5・56mmが採用され、展示されている。

(詳しい説明は各種資料にあるので省く。)

スプリングフィールド小銃M1903、M2カービンも展示。

②台上展示

日本の航空機機関銃と照準器航空機導入期の7.7mm口径固定機銃は陸軍「八九式」(1929年)、海軍「九七式」は、英国ビッカーズ機銃であった。この二つの形式は弾薬の互換性がなかった。

その後、陸海軍共、世界のありとあらゆる技術を採用し、以下、それらの現物は当館にて割合種類多く展示されている。

陸軍「一式」12・7mm口径固定機銃は「ブローニング方式」の模倣であるが、弾薬はイタリアのブレダ機銃(イタリアから輸入した約80機の爆撃機の武装だった。)と同じ。

爾後、陸軍はブローニング機銃を20mm(アメリカにはない)からさらに大口径化した。

写真9 右が海軍戦闘機翼内機銃九九式改、左の赤い台の上が九五式射爆照準器、箱が九八式光学照準器

海軍「九九式改」20mm口径固定機銃は「エリコン方式」。

前身はドラム弾倉60発を使用したが、この形式は河村博士の開発のメタルリンク方式装弾数200発、銃身も長い。給弾装置も健在。

陸軍「九八式」海軍「一〇〇式」旋回機銃はドイツ、ラインメタル社より生産権を取得し、陸海軍が共通に採用。7・92mm口径単身形70発サドル弾倉使用。ショートリコイル方式。

2連形で150発サドル型弾倉、「チェコ機銃方式」機構を採用してあった。

この台上には九八式光学照準器(ダットサイト)と九五式射爆照準器(筒状1倍率)が展示されており、前方のモデル機への照準を体験できる。

○日本の対空機関銃

陸軍「九八式」(1938年)20mm口径対空機関砲。当時世界最強の20mm口径弾と言われた。「九七式対戦車砲」と同じ20mm口径だが互換性はない。展示の現物は架台が欠落している。弾倉は20発収納。

海軍「九二式」ルイス型7・7mm口径機銃(0.303起縁弾)と三脚架。

三脚架は数秒で地上用から対空用に変換できた「ゆり篭型」汎用三脚架が完全な形で残されている。円形弾倉は自転式で、製造刻印には「山岡」とある。機銃は豊川工廠、愛知時計製造。70発収納。 山岡製作所は後のヤンマー。

③ケース内展示の例

写真10 日本軍の拳銃各種、手前は空挺用の弾帯

○拳銃類

南部小型7mm口径、恩賜の拳銃2挺と、十四年式前期型、九四式前期型8mm口径などの日本軍拳銃のほかに膨大な収集がある。一部、収容嚢、装具も展示されている。

幕末、明治初期に使用されたSW2型32口径各種、国産も含む、SWロシアン、などに、日本の操縦士、将校が携帯したであろう、スペインなどからの輸入小型拳銃各種とそのほか、ドイツ、アメリカ、ロシアの軍用拳銃類が揃っている。信号銃なども。

○  プレゼンテーション兵器

各国より贈られたさまざまな銃器が展示されている。例えばイラン国王より贈られた同国製のブレン機銃、イスラエルからのウージィ短機関銃、アメリカの将軍からのイエローボーィなどなど。

④外国兵器展示

○ロシア

当館には多種のロシア(旧ソ連)兵器が展示され、その内容は充実している。

その中でもソ連軍の特徴的な兵器は「ペペーシャ」7・62mm(カチューシャではない)と呼ばれた短機関銃である。シュバーゲンの開発で、小銃替わりに歩兵に装備された。

全長84cm、銃身長は27cm、70発円形弾倉を使用するが、接近戦闘に持ち込むまでの犠牲は考えられてない独特な兵器である。後のAK47のアサルトライフルの元になった考え方であった。AK47の展示物はソ連製ではない。

ロシア、ソ連はマキシム国で7.62mm口径、計約60万挺という数を生産した。

デグチャレス車載機銃7・62mm口径

デグチャレス軽機関銃M1944,7・62mm口径

デグチャレス対戦車銃14・5mm口径単発

シモノフ対戦車機銃14・5mm口径半自動

写真11 台上の各国の小火器類 右はブレン機銃と三脚架

○英国

ビッカーズ重機関銃、ブレン軽機関銃、エンフィールド小銃などが展示されている。いずれも0.303(7・7mm)口径起縁弾薬を使用した。ステン短機関銃9mmもある。

軽機の三脚架は珍しい。この三脚架には航空機搭載機銃が載っていた。

○米国

米国はスプリングフィールドM1903口径30.06を採用していたが、第二次大戦直前に半自動銃ガーランド小銃を採用した。弾薬は共通。分隊内で短機関銃、拳銃、そしてM1カービンと3種類の弾薬を使用していた。こう棹式スプリングフィールド銃も狙撃用に併用された。展示されているM2カービンはM1セミオートからフルオートに改良したもの。なお、展示のトンプソン短機関銃・45口径は中国工廠で模倣されたもの。

スプリングフィールドM1903、M1ガーランド、グリースガン、BAR,M3、M60、ブローニング機銃・30、・50などが展示されており充実している。現代使用のM16も。

日米開戦後、急遽開発した分隊用60mm口径迫撃砲も興味深い。

⑤その他各種の機関銃類

・ロシアマキシム機銃1912年 7・62mm口径

・ドイツマキシム機銃 7・92mm口径

・フランスホチキス機銃 8mm口径

・  英国製ビッカーズ機銃 ・303口径

充実した展示品ではあるが、残念ながら、すべて「架台」が欠落している。

珍しいものではドイツのマキシム軽機7・92mm口径、デンマークマドセン軽機、チェコ軽機など著名な機関銃は充実している。

ドイツには重機と軽機の区別はなかったが、基本的にはマキシム国であった。他のドイツ兵器展示はルガー拳銃以外殆どない。

⑥擲弾・無反動砲類

84mm口径無反動砲

M20 3・5インチ口径ロケットランチャー

57mm口径無反動砲

75mm口径無反動砲、その他擲弾筒

⑦弾薬類展示(別室)

日本と米国の砲弾が各種展示されているが、まだ整理されてない。

⑧当館に足りない資料

・完全な日本の火縄銃全般 数挺は必要とその装具

・エンフィールド前装銃 (産業革命後の画期的な小火器)☆

・スナイドルとアルビィーニなど後装銃 ☆

・村田十八年式銃11mm口径・同騎兵銃

・二十六年式拳銃 9mm口径

・三十年式歩兵銃6・5mm口径 (歴史的に意義の大きな小火器)☆・同騎兵銃

・南部式大型拳銃 8mm口径

・九七式狙撃銃6・5mm口径(この眼鏡はある)

・九九式狙撃銃7・7mm口径・同眼鏡

・二式小銃 7・7mm口径 ☆

・三十年式銃剣(展示のものは模擬銃剣)☆

・八九式、九七式航空機固定機銃 ☆

・フランス製ホチキス機銃の三脚架 ☆

・ソ連製マキシム機銃の三脚架もしくは四脚架 ☆

・英国製ビッカーズ機銃の三脚架 ☆

・米国製ブローニング・50口径重機の三脚架 ☆  以上。☆は特に重要なもの。

B 火砲館

写真12 火砲館内部、左より三八式野砲、四一式山砲、真中が九一式榴弾砲など

火砲館は別棟になっており、そこと屋外の展示はいつでも見学できる。

火砲館には、日清戦争で鹵獲したクルップ砲から以下の各種、地上砲が展示されている。

○三八式野砲、同改造野砲、口径75mm、砲身長720cm、947kg、射程1万m

改造は複座方式が異なる。

○四一式山砲 口径75mm、全長130cm、540kg、射程6300m

○九一式榴弾砲 口径105mm、全長209cm、1500kg、射程1万m

○九四式対戦車砲 口径37mm 325kg 射程3700m

○四年式榴弾砲 115mm

九二式大隊砲、迫撃砲各種など日本軍が多用した砲の展示はない。

○ソ連の各種大砲

○可動する八九式中戦車(1929年制定)と三式戦車(1943年制定)が展示されている。各種、自走砲、戦車、戦車回収車、装甲車など、米軍、自衛隊で使用、日本で開発された砲や戦闘車輛が多数、外部に展示されている。装甲車はイラクで活躍した、軽と重の2種類がある。

その中でも目を引くのは、90式戦車、回収車、99式自走砲などの巨大さだ。

しかし、将来的にはハイテクな電子兵器、誘導兵器にとって替わられるだろうが。

写真13 走行する八九式中戦車 一昨年リストアした。

写真14 世界で唯一残存する三式戦車

八九式中戦車のリストアは、教習として行われ、80年前の技術、リベットで止めた車体、防弾板、それに新しい小型エンジンを設置し、ギアを接続するなど、専門的な開発技術の習得に大いに貢献したそうだ。

C 今後の課題

写真15 74式戦車

武器技術の進歩・変遷を系統的かつ総合的に説明できる施設として、近代の兵器だけでなく歴史的な資料の拡充も重要である。具体的には刀剣、甲冑の類までさかのぼる。

また、明治維新から大戦終了までの武器技術の実態を否定的にとらえず、技術だけは多角的にみても、その延長にあることを認識し(日本だけでなく全世界的にみても)、さらに分かり易い、充実した施設に発展するべきであろう。

○具体的には、日本における「軍事博物館」、ちなみにどんな国にも同種のものはある、として前記の技術発展が説明できるべく、また常設展示、特別展示ができる施設が必要だろう。

当面は小火器の装具の充実が必要であろう。銃だけでなく、銃剣、弾薬盒その他装具の展示も歴史的背景を知るに重要である。

○弾薬類の整理と充実、当学校は不発弾処理専門家教育の場だ。弾薬科の協力と収集家からの寄贈などで、銃砲とともに弾薬が展示できると、兵器と弾薬の関連性が理解しやすくなる。

○銃砲以外の兵器展示も重要な要素である。現在は僅かであるが、光学兵器、通信機

工作機、防毒具などの充実も技術変化の総合的理解に役立つ。

○展示物充実には日本やアメリカの収集家、研究家の今後の協力が不可欠である。

また自衛隊全国の駐屯地、施設などにはまだ発掘されてない資料が存在すると思われるこの集中化もひとつのソースになろう。

○この施設が必要な資料輸入が出来るシステムも必要であろう。

○さらに、先日の見学会のときのように他の自衛隊施設への貸し出しがなされると展示の完全なものがないことになる。予備の「貸し出し用のセット」を用意すべきである。

○また特別展示のスペースの確保をして、各国兵器の展示(現在は混在している)を行い各国の兵器のより深い理解が行えるようにすると価値がでる。(どういう理由か旧ソ連の

兵器は充実している。)

○自衛隊においても一般装備品(兵器、弾薬)以外の資料に関しては銃刀法が適応されるそうだ。それで全ての銃砲は無稼動化されている。しかし、稼動部分に兵器の重要な技術が見られることが多いのだから、「無稼動化方式を統一」し、民間にある無稼動銃よりは技術が理解できるものにしなければならない。今回も小火器に関しては火器科2名の教官クラスの方の技術で大体同じ水準の良い展示になった。

上記のような課題を解決し日本の歴史の一部を展示する「武器技術資料館」をさらに充実させるには、政府、防衛省、自衛隊各部をはじめ、公安委員会、税関、警察、そして我々のように武器兵器を史学としてとらえる団体、個人のサポートが必要であることは言うまでもない。

筆者は陸上自衛隊武器学校武器資料館顧問であると同時に来年3月までは防衛省モニターも委嘱されている。本年はこの武器技術資料館作業にさらに注力をするつもりであるので、皆様のご支援を一層お願いしたい。

(制式名表記を帝国陸海軍時代兵器は漢数字、自衛隊時代、外国兵器は算用数字を使用。)

参考文献

須川 薫雄著 『日本の火縄銃1』 1989年 光芸出版

須川 薫雄著 『日本の火縄銃2』 1991年 光芸出版

須川 薫雄著 『日本の軍用銃と装具』 1995年 国書刊行会

須川 薫雄著 『日本の機関銃』 2001年 SW社

洞 富雄著  『種子島銃』 1958年 淡路書房

安齋 實著 『砲術』 1966年 人物往来社

所 荘吉著 『図解古銃辞典』 1980年 雄山閣

宇田川 武久著 『江戸の砲術』 2000年 東京書林

中川 正二著 『火薬学概論』1983年 産業図書

佐山 二郎、竹内 昭著 『日本の大砲』 1986年 出版協同社

鈴木 氏享著 『村田銃発明物語』 昭和17年 教養社

有坂 欽造著 『兵器考』 1-4 昭和8年

加登川 幸太郎 『帝国陸軍機甲部隊』 1976年 白金書房

『兵器技術教育百年史』 昭和47年 工華会

『名古屋陸軍造兵廠史陸軍航空工廠史』 1986年 同会編

『小倉陸軍造兵廠史』 1988年 同会編

『日本兵器総集』  1985年 潮書房

『兵器学読本』 昭和18年  陸軍歩兵学校

『兵器学教程』 昭和15年 陸軍歩兵学校

『射撃学教程』 昭和15年 陸軍歩兵学校

Military Small Arms of the 20th century by Ian V. Hogg and John Weeks 1987

Hatcher’s Notebook by Julian S. Hatcher 1977

Rifles of the World by John Walker 1985

Japanese Ammunition 1880-1945 by Ken Elks 2008

Japanese Training Machine Guns by William M. P, Easterly 2006

The Grim Reaper by Roger Ford

The Machine Guns 1-4 by George M. Chinn

陸上自衛隊武器学校武器技術資料館

所在地

:〒300-0301茨城県稲敷郡阿見町青宿121-1 陸上自衛隊土浦駐屯地内

武器資料館小火器館の新装には多くの隊員の方の努力があった。

以上。

トラックバック

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメント & トラックバック

コメントはまだありません。