第409回日本銃砲史学会例会内容報告

12月9日(第二土曜日)、早稲田大学各務材料研究所において開催され3人の講師による以下の演題報告が行われた。参加者は延べ約40名。
内容は各々が個性ある興味深いものであった。

1、「田付流管打ち銃について」 小西 雅徳(日本銃砲史学会常任理事)



日本銃砲史において火縄銃以外の発火方式は欧米に後れをとっていた。
安政二年(1855)幕府が湯島鋳砲場において和製ゲベール銃の製造を
決定して以来全国的に和製の管打ち銃が広まった。
ひとつは火縄銃の火皿を管に取り換え、カラクリを強いバネの管打ち銃に
変換する。もうひとつは最初から全体が火縄銃スタイルの頬あて銃床の管打ち銃をつくるであった。



見本の銃は「巻張 道元家直作」とあり、緒元は全長110.8cm、銃身長
77.9cm、口径14mmである。台かぶの形状から田付流の銃だ。
火縄銃を返還したものの形跡がみられ。壬申刻印から九州のもので、
(道元は九州の銃工で安田氏の日本銃工名鑑によれば52の銘が見られる
道元と言う名称は流派にもみられ田付とは異なる形状である。)
この銃のカラクリには問題があり、フル、ハーフの位置で止まるが引き金を
引いてもハンマーが落ちない。



(欧米の管打ち式、外カラクリの銃の機構はコンパクトであるが、日本の長い頬あて式をこの機構にするとシアバーが長くなり、引き金の調整が難しいからか?)
日本の当時の職人は二つバネのバランスと長いシアバーの理論を理解してなかったからだろう。
今後も同種の銃を多く観察し考証する。

2、「韮山代官所の農兵学校について」   樋口 雄彦(国立民族博物館教授)



幕末、全国の諸藩や各地域でいわゆる「農兵」が組織された。西洋列強による
軍事的脅威に対抗するのが主因である。しかしこの事実は近世日本の幕藩体制、
つまり兵農分離に反し、幕藩体制の崩壊を意味する結果となった。
伊豆韮山の代官、江川 託庵が組織化した「文武学校」を例にあげ、農兵成立の
背景と実像・規模などを説明した。果たして農兵は幕末維新に貢献したか。
先生の著作は「幕末の農兵」現代書館刊 ¥2,300-



3、「小栗 上野上の日本改造」   村上 泰賢(高崎市東善寺住職)



小栗は幕末の幕臣であり、開国にあたり洋式陸軍制度、横須賀造船所建設なと
当時の最高のテクノクラートとして欧米で視察してきた様々な先進的政策を
実行したが、明治政府により斬首刑に処された。
村上氏は「幕府の運命、日本の運命」と言う題目で具体的に小栗の生涯を功績
そしてその死について語った。



(現在横須賀米海軍基地には小型船舶用の石組みのドライドックがある。
これは小栗が立案し計画を進めたものであり、米軍が使っている。)
この事実だけでも歴史は皮肉なものだ。

会場の様子 



閉会後、懇親会が行われら。
(この項以上)

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記録開始日:2010年4月1日
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