3月例会報告

平成29年3月23日

第406回3月例会は平成29年3月11日(土)午後1時―5時の間、早稲田大学
各務記念材料研究所にて開催され、多種で各々が新鮮、綿密な研究発表であった。
残念ながら参加は会友を含め30名弱と少なかったが、入会を前提とする新人2名が参加したのは成果であった。
司会進行は峯田氏、例会後、「かわうち」において懇親会が開催され16名が参加した。

峯田 元治氏

懇親会の様子

例会よりも懇親会のほうが議論がはずんだ。

 

発表内容4題

1、 モミノシの調査 中江 秀雄(峯田 元治、五十嵐 芳夫)

中江 秀雄氏

モミノシと言うのは滑腔銃銃身内表面を滑らかにして弾丸が抵抗なく発射されるように
加工、手入れするための棒状の道具である。江戸期より巻張り等で製造された銃身を固定して内部を人間の手の力で磨くために使った。先端は立方体で、鉄を磨くのだから当然焼の入った固いもので、棒は銃身の長さを補う十分な長さがあり、手回しの部分は環となり、そこに木棒などを入れ力が大きく回転する工夫があった。動力は使わなかった。
現物は峯田氏が北関東で見つけたもので、その材料分析過程と時代測定が発表の概要であった。モミノシ自体は江戸期の資料画に示されているが、現存する実物は少ない。
中江氏は先端の立方体の刃になる部分、棒の手元になる部分のつなぎなどの謎を金属成分の分析で解析した。


結果、このモミシノは明治期に散弾銃などに使用されてものであり、棒は力を入れすぎ、折れたのを修理したものと判明した。刃となる部分の成分は和鉄にも、江戸期に輸入されたものでもなくマンガンの比率が大きい、手の込んだ作りであった。全長は1190㎝で火縄銃改造の銃身に合致するが、明治期、地方では野鍛冶手製の道具で銃器が作られ、修理されていた歴史的な証左を証明した。現在ではドリル系の道具を動力で稼働させ使用する。大変、興味ある内容であった。



 

2,田中 久重の銃砲研究について  河本 信夫氏



河本氏は東芝に勤務しており、東芝科学館の仕事を通じて、東芝の創立者のひとりであった
江戸期久留米のカラクリ職人であった、田中 久重翁の歴史を近代エンジニアとして転換する過程を研究した。田中 久重翁は幕末、佐賀藩、久留米藩において、銃砲と他の兵器の研究、開発事業に従事した。天文学、暦学、蘭学、軍事学を学び、電信機、蒸気船、大砲などを研究、そのひな形を製造した。しかしライフル砲製造の実物は西欧の20世紀近くになってからのものであり、現地における武器兵器の研究の水準が、現地実物に合致していない難点があった。



氏の東芝科学館および久留米藩など西南雄藩の武器兵器研究の立地及び資料解析の
優位性を活かして今後氏が銃砲史の実態に迫れば大変大きな可能性をもった有意義な研究であると確信させる内容であった。

 

3、19世紀前半の蘭書輸入~ヒューゲニン著作を中心に~
北区文化財専門員 田中 葉子氏

田中 葉子氏

19世紀前半、産業革命期の兵器製造のさまざまな研究したオランダのヒューゲニンの著作物はいかなる種類のものがどのように輸入され、高島 秋帆など日本の武器兵器洋学者に読まれたか、その詳細をオランダ語交え発表した新しいジャンルの発表であった。

① 輸入されたヒューゲニンの著作
② 19世紀蘭書の入手ルート
高島などは地位を利用し一種の蘭書ビジネスにより収入を得ていた。彼の投獄もそれが一つの理由。
③ 高島 秋帆によるによるヒューゲニン著作の入手
コンサイ書類



オランダは日本との交易において書物を一つの大きな商品と位置づけ、バタニアにおける印刷、日本が幕末遅れていた大砲鋳造、使用に関する知識の販売。秋帆は136の蔵書を保持し、9種を翻訳したなどなど、興味深い内容が多く含まれていた。
優れた研究だった。

 

4、銃の進化とバネとの相関  須川 薫雄


須川 薫雄

日本近世までに歴史において金属バネは社会的に使用が限られた文明であった。
火縄銃(真鍮板バネ)と和式箱鍵くらいしか思い浮かばない。バネの定義あり。
銃の進化は様々な点から研究されたが、今回、はじめて板バネからコイルバネへの
変換が銃を大きく変化させた重要な要因であることを発表した。



日本の火縄銃引き金は銃床の真ん中に位置し、それだけ長いシアバーを採用している。吊バネの力が少なくてすむ

ひとつはモーゼル型槓桿小銃の出現、さらに広く、機関銃、自動拳銃、半自動銃、
自動銃などに展開され、武器兵器の歴史の転換点を作った。コイルスプリングの設計や製造は中小のいわゆる町工場の仕事であるが、これなしでは何も工業製品は完成しない。軍用にも多くが使用されている。このような社会学的な研究であった。
以上

(文責 管理人)

 

今回の銃砲史学会例会をみて、会は今、大きな転換期にあると感じる。
一つは発表内容に値する聴衆が集まらないことだ。もったいない。
二つは会員の多くが銃砲から遠い存在になりつつあることだ。その背景は日本の
銃刀法にもあるが、銃砲にほとんど無知な人々に銃砲を説明するのはむなしい。
三つは退会する会員がこれから多く出よう。その補充に銃砲に興味のある、経験のある
若い会員が入会しなければ、
四つは、会の研究を明治維新で切ることの問題だ。明治維新、日本の産業革命は
急速に新しい技術を展開した。ここに多くの会の研究課題があるのではないか。
以上、



この会はじり貧になろう。
(文責 管理人)

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