平成28年9月404例会内容報告

日時:平成28年9月10日(第二土曜日)午後1時より
場所:早稲田大学各務記念材料研究所

今回の例会は発表題目を3つとして各発表に時間を持たせ、また内容的に深く学術研究が進行している内容から選択した。
参加者は40名を越え、活発な質疑応答がなされた。

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題目①

「和鉄と洋鉄」             早稲田大学名誉教授 中江 秀雄

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中江名誉教授


はじめに)

明治以前の日本の鉄を語るには、「和鉄」と「洋鉄」に分ける。
各々の定義では和鉄はタタラ操業(和鋼と和鉄)、洋鉄は国産では幕末以降高炉で得られたものとする。当時、海外より輸入された鉄は洋鉄である。南蛮鉄は桃山時代から江戸初期にかけて輸入された原料鉄で形状はひょうたん型が多くひょうたん鉄とも呼ばれる洋鉄である。一般的に和鉄は洋鉄に比べて高純度であるとされている。その原因は原材料と炉の燃料の差であると考えられる。
「和銑」は鋳物に用いられたが、「和鋼」にはタタラで得られた鉧と和銑を鍛冶が叩いて、得られた「包丁鉄」である。
(表1、代表的な和鉄の化学組成)
和鉄の科学組成をみると現在の鋼や高炉銑に比べて、Siやが極めてMn,P,Sが低い。木炭と原料としたので不純物元素が還元され難く、Pが少ない。
このため和鉄は鍛接が容易とされている。

2、鉧と銑、玉鋼

和鉄にはさまざまな呼び名がある。
「玉鋼」は炭素量1-1.5%くらいで刃物に適した材料とされている。
表2.明治31年ごろのタタラ鉄の化学組成
玉鋼とは明治19年以降、海軍省への文書にみられる。

3、大鍛冶場

銑鉄あるいは低級の高炭素鋼を原料として、炭素量0.1%程度の包丁鉄を造るプロセスである。
図1、タタラ鉄の後製錬工程と鉄の名称
図2、大鍛冶屋配置図
図3、大鍛冶炉の構造
表3、包丁鉄の化学組成
図4、火縄銃雄ネジ部の非金属介在物
図5、和釘の金属組織と非金属介在物
図6、和釘の酸化物のEDXによる組成分析

4、タタラ操業

日本独自の製法で千年以上の歴史を有す。タタラとは元来鞴(ふいご)を意味する。
図7、タタラ製鉄の工程
図8、鍛造された鋼中のTiN
図9、CaO・SiO2スラブ粘度に及ぼすTiO2の影響
表4、明治時代の鋼鉄の分類と名称(大正13年 工藝学教程)

5、公益財団法人日本美術刀剣保存協会(通称日刀保)タタラ

図10、江戸時代のタタラ操業
図11、タタラの地下構造
図12、タタラからの鉧の取り出し
図13、和鋼博物館の3.5トンの鉧

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図14、鉧内部の構造

6、おわりに

7、参考文献

(略)

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題目②

「金海奇観」について           東洋大学教授 岩下 哲典氏
1853年と翌年のペルーと米国艦隊神奈川沖来航の有様、艦艇、装具、武器兵器を仙台藩主大槻 盤渓が編纂した多くの絵師による極めて写実的な水彩画である。金海とは神奈川の海を意味し、当時の日本人が見聞きもしなかった未知の
世界、特に武器兵器や科学的製品、そしてそれをもたらした米海軍の姿を正確にとらえていた。
絵巻は早稲田大学の所有であり、復刻版が最近、発刊された。

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岩下 哲典教授


1、 黒船来航絵巻「金海奇観」

嘉永年間(1853-4)神奈川沖(金海とよぶ)に来航したペリー提督が率いる
米国海軍艦隊の様子を仙台藩大槻 磐渓が多くの絵師を動員し編纂した二巻に
わたる絵巻で、蒸気船、帆船、榴弾砲、軽砲、ボート、幹部、乗員、兵卒、
武器兵器、科学的献上品などを明細に描かせたものである。
元本は早稲田大学所蔵で近年、復刻版が印刷された。
「金海奇観」の構図

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「金海奇観」の各図
「金海奇観」にかかわった人物

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2、「金海奇観」の背景―近世・幕末維新期の対外問題

江戸期、鎖国期を通じての外交史リスト

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題目③

「韮山反射炉における鋳砲事業」 -江川文庫の資料翻刻からー
東京大学教授 保谷 徹
韮山反射炉は世界遺産登録を果たしたが、その事業に関してはかならずしも
順調ならずで、今回発見した新事実は・・・

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保谷 徹教授


1、 江川 英龍による反射炉建設

高島流砲術と幕末の海防との関係
史料1、嘉永六年(1853)反射炉取立方につき江川英龍に上申書
史料2、天保十三年(1842)10月ぺクサン砲取り寄せに関する江川 英龍伺書
史料3、ボムカノンについて

2、 英敏・英武時代の鋳砲事業

史料4、安政二年(1855)8月反射炉修復につき江川 英敏伺書(勘定所宛)
〇鉄製18ポンド砲(四番砲)の試鋳(万延元年・1860年日記から)
〇万延元年(1860)18ポンド砲性能検査終了、英龍計画の実施許可を求める
史料5、文久元年(1861)5月鉄製砲鋳造許可を求める江川 英敏上申書
史料6、文久元年(1861)6月鉄製砲の件お尋ねにつき江川 英敏上申書
〇欧米の榴弾をもちいたライフル砲の一般化
〇ダールグレイン砲、ミニエ式小銃の製造に挑戦
史料7、文久元年(1861)9月野戦青銅砲鋳造に関する江川 英敏伺書
〇文久二年〈1862〉12月 下知により青銅製ライフルカノン砲25門、
ボートホーゥィスル砲75門の製造にかかる。
〇大砲鋳造御用江戸移管
史料8、慶応二年(1866)4月陸軍奉行宛江川 英武上申書

3、 榴加農砲の鋳造計画

史料9、文久三年(1863)9月評議書
史料10、榴加農砲に関する御用留記事
史料11、鋳造計画162門
史料12、文久三(1863)9月韮山反射炉の鋳砲場拡張計画
〇鉄製砲鋳造着手による大砲工場の拡張

おわりに)

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〇韮山反射炉事業の終焉は元治元年(1864)7月
〇反射炉の保存

懇親会

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なお、例会後懇親会が行われ19名が参加した。

(文責 理事須川 薫雄)

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