平成26年度6月例会

開催日時:平成26年6月14日(第2土曜日)
場所:早稲田大学各務記念材料研究所
参加人員:述べ45名
発表題目・講演者・内容は以下の通り
例会の様子(司会 須川薫雄)

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1、「火縄銃時代の執銃マナーと打ち放し礼式」 日本前装銃射撃連盟 青木孝
(はじめに)最近、地方の行事として鉄砲隊演武が盛んであるが、映像を観る限り射手には火縄銃射撃の十分なマナーと知識があるようには思えず、おぼつかぬ演武も多い。砲術を標榜するのであれば術に相応しい、マナーと古実に規った演武を披露すべきであろう。まずはベテランとしての苦言を呈す。
(砲術伝書が伝えるもの)「渡部流鉄砲礼式」の例より

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(青木孝氏)
古流の砲術伝書には砲術そのものの記載は多いが、基盤となる基礎知識はすでに身に付いた者を対象としていた。従って、礼儀や作法は記された例は少ない。
九州の陽流、米沢演武は古くからの礼式を重んじている数少ない例だ。
(弓道の礼法が参考になる)弓術は砲術と同じように射て的に当てると言う動作が確立している。恐らく一番厳しい作法であろう。鉄砲でも同じような作法が存在しただろう。
(金属の扱い)金具には触れるな、が「中島炮術」にある。銃口の向きの管理は近代でも同じだが火縄銃の金具は弱い、その管理にも注意をしていた。
銃の手渡しにも、また射撃の前後にもその抱え方には形式が重んじられた。
(目のつけどころ)アイコンタクトト言うか、鉄砲を保持したら、視線が重要である。「遠山を観る」と言う感覚、目使いが重要である。
(姿勢と立ち座り)「居合術」の振る舞いが参考になる。居合は世界でも珍しい、座りの姿勢から立ちに動きが移行する演武だ。鉄砲にも同じようなプロセスがあり、恐らくその居合の優雅な動きに似たものがあったに違いない。
以下、森重流砲術 居放し 打砲手続図解

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2、お知らせ 中原正二先生著 『新編火薬学概論』の説明
防衛大学准教授 伊達新吾氏

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中原正二、蓮江和夫、甲賀誠、伊達新吾著 2014年4月産業図書(株)発売

3、「国友一貫斎の技術的背景」日本の精密技術ネジ      梶原利夫氏

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(梶原利夫氏)


① はじめに
江戸時代精密工学・精密加工技術研究は未知の課題である。従来、江戸期の科学技術と言うような曖昧な分類であり、精密加工技術など江戸期には存在しなかったというのが大方の研究者意識であっただろう。しかし現実には精密加工技術がなければ製作できない製品が存在している。それらを資料としてネジと目盛刻線に関して考察する。
(計測と言う考えの元は枡と秤である。江戸期でも一匁の千分の一位の誤差の精度で製作されていた。)
② 江戸期における精度
江戸期の実用的な精密機器としては一般的なものより天体観測に使う者の例が、
「水揺球儀」(一種の振り子時計であるが)天体観測の高度角を測るものだ。
その他数々の正確な機器が多くの職人により製造された。「垂揺球儀」の誤差は1時間1秒であった。その他大勢の学者、職人名を紹介。
③ 伊能忠敬の測量機器
伊能は寛政七年より、数々の天体観測器具、機器及び測量器具を購入、もしくは製作させた。記念館の展示品は全て複製品であり、収納庫にある実物は観察できなかったが、ノギスなどに使われたネジは日本最古の精密ネジであろう。
(メートル法、西欧の産業革命に必至の規定は精密なネジ、それに基づいた器具が不可欠だった。)
④ 国友一貫斎の精密技術
文政二年、気砲を製作するまで精密なものではなかった。その後、江戸に滞在し、様々技術者との交流により精密なネジの製造に至ったのではないか。

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その例、と質問する名古屋貢氏(下)

4、『火薬類通覧』から見た銃砲用火薬について      栗原洋一氏
(はじめに)
明治四十四年に発行された『火薬類通覧』と他の資料『銃砲火薬實解』などから当時と現在の銃砲用火薬を中心に火薬史を比較・考察した研究である。

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① 火薬類の定義
② 爆発物の定義
③ 火薬学
④ 黒色火薬の製法 (焔硝と火薬は異なるかの質問あり)
⑤ 黒色火薬の種類
⑥ 黒色火薬性状
⑦ 黒色火薬の特徴・用途
⑧ 褐色火薬
⑨ 無煙火薬の製法
⑩ 無煙火薬の用途
⑪ 銃用雷管の種類
⑫ 銃用雷管の構造
⑬ 爆粉
⑭ 装薬量
⑮ 現在の装弾
⑯ 装弾の歴史
⑰ ケース
⑱ 弾丸
⑲ 送りワッズ (ワッズに関して質問あり)
⑳ パターン

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(栗原氏)


内容的には豊富であり、興味ある研究であった。

5、資料紹介『相馬焼火薬甕について』  小西雅徳氏
小西氏が研究した主に江戸期の大型火薬保管用の甕、容器に関する発表であった。

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木蓋の裏書き


相馬の甕には木製蓋が付いており、その裏書きからこの四角な薬を掛けた
甕が火薬19㎏を収納できる、また湿気から守れる容器であったと推定される。
他にも水戸藩の金属製容器、と幕末の火薬産業、特に大砲を使用するようになってからの火薬類の保管方法などの研究であった。

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(小西雅徳氏)


(以上管理人記)

懇親会
17時より近所の「かわうち」にて、18名が参加した。

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皆元気になった。
(この項以上)

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