第394回、平成26年3月例会大盛況のもとに終了す

参加者が例会、懇親会ともに普段より多く、また新しい分野の発表が続き、内容が新鮮で、実物が展示されたので、活発な質疑も行われた。
宇田川理事より「現物が見れるように会員の好意で持ち込まれた、贋作の多い昨今、当会員においては良くこれらを観察し、勉強するように」と言う挨拶があった。

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宇田川武久理事長

平成26年3月8日(土)早稲田大学各務材料研究所に於いて実施されたが、新入会員も含め、述べ50名が例会に参加し、さらに懇親会にも30余名が出席した。
下は例会・発表会の様子

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懇親会のにぎわい

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発表概要:

(1)、『所謂薩摩筒の定義と伝来』
陸上自衛隊武器学校小火器館顧問 須川薫雄

先人達が「伝来の形を良く残した」と、鹿児島、種子島、宮崎県一部に残る
火縄銃の形を「薩摩筒」と言ってきた。確かに独特の形状と機構を持つ。
発表者の仮説は、1、薩摩筒は欧州からアジアを経由して持ちこまれた火縄銃の「一つの形式」であろう。その独特さの細部を説明した。また鹿児島は江戸期、他地区との交流が少なかったので、古い形式が残された。ねじ込みの火皿

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1、欧州の火縄

銃の歴史は短い。そこには三種の形状が挙げられている。その
ボヘミアではないか。他のイングランド、フランクフルトも時間差はあったが日本に伝来していた。つまりルーツは複数あったのだ。イングランドは紀州筒に残っている。フランクフルトの厚い銃床は田付流だ。

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知覧の薩摩筒

2、日本の江戸期の火縄銃は競技銃であった。戦闘用は少なかったのではないか。つまり標準的な全長130㎝、銃身長100㎝がそうだ。それに比較して薩摩筒のような戦闘筒は全長115cm、銃身長85㎝くらいである。
日本の火縄銃はルーツともかく、共通した規則があった。その例の説明。
3、日本の火縄銃多様化の要素は「生産地」、「使用地」、「流派」、それに「ルーツ」があるのではないか。
4、現在までの研究を整理し、鹿児島の各地を訪問し、さらに仮説を検証して来年もう一度発表する。

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薩摩筒カラクリ

宇田川理事長より、現代残された現物と伝来のものを比較はできない。戦国期の古文書の研究を加えることも重要であるとのコメントがあった。
以上。

(2)、『日本海海戦における敵前大回頭と丁字戦法』
元防大教授 堤明夫博士
紹介者 名古屋貢博士


防衛大学を卒業後、海上自衛隊の前線を歩き、イージス艦『きりしま』艦長を経て幹部学校、防大等で教鞭をとられていた研究家のユニークな内容であった。
会員名古屋貢博士からのご紹介があり、内容的には理論を理解してないと分からない難しさがあったが、興味深い内容であった。

image008名古屋貢博士

image009堤明夫博士

image010スライドを操作する中江秀雄早稲田大学名誉教授

内容:
1艦砲照準の基本 艦の甲板は揺れる

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2日本海海戦で使用された艦砲
3小型砲のみが兵の体で照準できるがあとは計算である

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4海上における位置、距離の錯覚 対象物がない
5相対運動解析が必要である

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6敵前大回頭の誤解 艦艇の見える姿は絶えず変化(照準し難い)
7「艦砲射撃要表」一時帝国海軍砲術家のバイブル

8 ロシア艦「スワロフ」から見た見事な丁字戦法の実現

9 この戦法日本海海戦以後は使われなくなった 砲の射程が伸びたため

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(3)、 『西南戦争前後の火箭』
会員 高橋信武氏

九州在住、西南戦争研究家の同氏の「火箭」の歴史、効果、また西南戦争にお
いての使用実績

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高橋信武会員

1使用の記録

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2装備状況 どのようなものだったか?
3火箭の拡散

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政府軍艦船には装備されていた
4イギリス方式を採用した

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5諸外国の火箭・英国ヘール火箭

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6我が国における19世紀の火箭

「棒火矢」も火箭兵器の一種である。火箭は初期のロケットであり、火薬の力で推進し、先端の燃える部分が相手側の燃えやすい家屋、艦船に火災を起させる、また照明にも使った。明治10年(1978)、西南戦争において政府軍が装備していた多くの火箭が使用された実態が明らかになった。

(4)、『スタールカービンとその実包』
研究家 磯村輝明氏
現物展示 杉本健二氏

 

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磯村輝明氏

世界で銃器弾薬が劇的な発展を迎えたのは、19世紀中ごろである。欧州では
クリミア戦争、米国では南北戦争、そして日本もきしくも、戊辰戦争で明治維新を迎えた頃だ。銃は前装式から後装式に、閉鎖も熕棹式に、そして弾薬は雷管を使用する金属薬莢そして連発式に。このような変化の過程で、銃の口径、適応弾薬に混乱があったころは否めない。磯村氏の銃器、弾薬の長年の研究の一部が発表であった。銃を弾薬に合わす、このための改造など興味深い内容があった。

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上、実物のスタール銃は会員杉本健二氏の収集物が会員に展示され、そのブロック閉鎖機構が説明された。

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前装式輪胴拳銃を見学する京都から参加の岡崎清氏

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活発な議論

まとめ)今回の例会発表は事務局長峯田元治氏が大変苦労され発表者に依頼した。銃砲史学会も「火縄銃研究」だけでは拡がりが少ない。このことを実感した。会員の興味は「日本の銃砲史」であり、その内容も広い。多くの聴衆が集まったのもそれが背景にあろう。
事務局長峯田元治氏と、A会員のメールアドレスが流出し会員に悪用される恐れがあることを注意する折原繁理事

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以上(管理人記)

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