第393回平成25年度12月例会報告

平成25年12月14日(土)午後一時より、早稲田大学各務材料技術研究所において峯田事務局長司会、中江名誉教授進行にて行われた。約40名が参加した。

image001宇田川理事長

宇田川理事長より、「我々の存在は社会に、銃砲史実説明不足を、その歴史をどう説明するかが課題だ」という挨拶をいただいた。今回は新しい会員による新しい題目の発表が行われることになっていた。内容は以下の通り。(発表順)

image002峯田事務局長

 

 

1、「寛政九年(1797)対馬沖 音と光」

長崎県立大学 准教授松尾晋一博士

松尾氏は文献による日本近世史の研究家で、『江戸幕府の対外政策と防衛』
『江戸幕府と国防』『長崎・東西文化交渉史の舞台(共著)』などの著書がある。
内容は、19世紀に移行する直前、すでに外国船の出没が幕府、各藩の対外政策の転換になった事実を、対馬、釜山、長崎、江戸への未確認情報により、幕府が動揺(パニック)した事件についてであった。

image003松尾博士

同年、9月14日、対馬沖で大きな音、光が住民により探知され、宗氏に報告された。宗氏より外国船の恐れがあると言う報告が伝わり、防備がなされた。
対馬は地勢上「浅茅湾」しか防衛する要所はなく、湾の入り口、廻り村、尾崎村に島の猟師が5名一組藩士の指揮のもと編成され防備にあたった。
朝鮮半島、釜山浦にその事件の直前、英国艦が侵入し武装の弱い「倭館」にも大きな衝撃を与えその報告も上がっていた。この英国船が当時、付近にいた。

image004ヘンリー号宮古で遭難

だが英国艦はすでに対馬沖を去っており、この光と音は雷鳴によるものであったと推定される。しかし寛政九年、幕府は外国船に対する、警戒を高めるという変化を受け入れざるを得なかった。興味深いアプローチであった。
(話は変わるが対馬は害獣として猪を駆除するため、農民に鉄砲を持たせ、それを成功させたという事実があるので農民の鉄砲所持数は多かった。)

 

2、「破羅漢砲を考える」―考古資料としてみた中世子砲式後装砲―

宮崎県臼杵市教育委員会 神田 高康氏 神田氏

image005

神田氏は「日本における近世初頭の火砲の導入と展開」「中世東アジアにおける技術の交流と転換」の著作があり、考古学面、実物からの研究者であると自己紹介した。日本には初期後装砲が11門存在するそうである。大友氏が薩摩の攻撃を防いだ史実は、そのような戦闘がないので、事実ではないそうだ。

image006

モスクワにある幕末、鹵獲された砲

さらに海外、アジアにおける同方式砲、ロシアに北方領土で鹵獲された砲を実測し、観察し、その特徴を分類した。ロシアにある砲、遊就館の砲は諸元、装飾などから同じ作と推定される。また岡山県津山に3門の砲が存在する。
それらを観察して、諸元の他、装飾、口径対砲身長比、子砲装填部形状、楔方式、など細部による分類で、外国品か国産品の分類を行った興味深い研究であった。日本製の砲には照星がある、と推定していた。
大友氏支配下のその時期、同地方には梵鐘が存在しない、と言う事実は、
砲の材料にされたのかもしれないとのことだ。
南九州は銃砲研究の宝庫であることに間違いない。
興味深い研究であった。

 

 

3、 「八重とスペンサー銃」

会員 加藤高康氏
同氏は名古屋の当会の古い会員で、古銃の収集家として有名である方だ。
今回、横浜の今村 逸夫氏も同じ型のスペンサー銃を持参し、参加者全員が
詳しく、観察できるよう工夫して下さった。

image007加藤氏

実物を示しながら、スペンサー社カタログによる説明により、はたして前装銃の知識しかなかった八重が誰にも教授されることなく、スペンサー銃を操作できたか、と言う疑問の研究であった。
スペンサー銃は後装式連発銃であるが、その取扱いは合理的であり、「子供でも操作できる」と言う言葉に表されているように、八重はこの銃を手にし、しばし眺めているうちに構造を理解し戦闘できるようになっただろうが結論だった。
新政府軍は攻城にあたり、ある時期から砲撃(砲50門)だけに切り替えた。
小銃の射程外から攻撃出来たからだ。従って小銃の使用は攻城には限定的なものだったかもしれない。
以前、会員杉本氏が実物を持参されすでに会員にはなじみのあった銃なので、
その構造等は良く理解できた。実物から入る研究であった。

image008聴衆


4、「19世紀イラン高原への新たな小火器および関連技術の流入とそのインパクト」

東京大学大学院 小澤 一郎氏

image009小澤氏

同氏の研究は世界の特定地域の銃砲史から日本の銃砲史との類似点や関連をみていくことである。イラン高原には幾つかの王朝、そしてオスマントルコ、英国との関連で、一時は盛んに小火器の生産が行われた。外国からの輸入そして製造業の衰退、そういう歴史を時代の経過を追って、その背景とともに解明しつつある研究であった。大規模生産設備(工廠)の設立より、職人的工場における生産(日本の江戸期)が主流であった。
この研究は英国やイランの資料の読み解きと、氏の2年間に渡るテヘラン滞在、
で行われたそうだ。
良い視点である。(陸上自衛隊武器学校にはイラン国よりプレゼンテーション用に深堀装飾されたブレン軽機関銃.303口径と手造りの標的射撃用ライフル銃が
存在する。)

image010質問する会員

例会後、新会員を含め約30名が懇親会に参加した。いつもと同じなので写真やその内容は省略する。例会は来ず、懇親会だけ参加した会員もいた。
(管理人記)

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