第390回日本銃砲史学会 6月例会 報告

6月8日(土)早稲田大学各務記念材料技術研究所において、宇田川理事長の開会挨拶に引き続き、以下の内容で行われた。幕末に関する題目が広くあった。約40名の会員、会友が参加した。

1、「壬生藩士・テクノクラート友平栄」壬生町立歴史民俗資料館 中野正人氏
群馬県壬生町は譜代壬生藩の所在地であり、都心から100㎞の距離だ。しかし
その名を知る人は少ない。江戸初期、日光東照宮に参る将軍たちが泊まる地で
一種の軍事拠点であった。中野氏のご説明は幕末の同藩の武芸興隆と、西洋軍
学を江川塾で学び、高弟となった友平 栄に関してであった。同藩は少なくと
も2-30門の青銅砲を製造した記録はあるが一門も残ってない。

 中野氏

 聴衆

2、「兵器生産に何を学ぶか」   元陸将補・武器学校校長  飯島矢素夫氏

 飯島氏

飯島氏は防衛大学卒、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校長を務められた。その
教育経験から日本の近代の武器兵器の開発史を論じられた。「兵器の独立なくし
て国家の独立なし」が原則である。つまり現在のように民間会社依存の兵器会
春は国家論から認識すれ外れている。兵器を自前生産できた国はある程度以上
の技術力を有した国家であって、それは多い数ではない。
戦前の日本は工廠が主に開発した。教育と開発は表裏
一体のものである。軍が要求する性能は日本独自性が強いものであった。
九○式野砲が九五式野砲に性能はともかく置き換えられた背景など興味ある内
容であった。

 飯島氏の講演内容

3、「岩倉使節団の見た欧州軍事事情 銃砲関連その2」 元NKK 室賀脩氏

 題目

前会に引き続き、長期間にわたった岩倉使節団の日誌より分析した19世紀半ば
における欧米の軍需産業の概況を国家、会社の立場から説明した。
サイクロプス製鉄所から始まった「アームストロング社」、バーミングハムの
「ビッカーズ社」、エッセンの「クルップ社」、フランスの「シャスポー社」
スエーデンの「ノルデフェルト社」など。そうそうたる兵器メーカーだ。
いずれも独自性が強く、自国でより、他国で先に評価されたりした。デンマー
ク、オーストリー、そしてロシアなどの兵器産業。明治の日本に大きな影響を
与えた。と岩倉使節団は記していた。

 室賀氏

4、「米沢藩鉄炮の黒色火薬分析」 群馬大学教授 瀧上 昭治氏

 題目

興味深い歴史話であった。山形県で最近、発見された米沢筒、とその装具一式
鉛柄杓、玉型などに、黒色火薬の袋があった。その黒色火薬を群馬大学が
蛍光X線分析したデータの発表であった。
結果は数十に及ぶ物質であったが、硝石、硫黄、炭という一般的な黒色火薬成
分と明らかにされた。化学物質は変化するので、150年を経て当然、当時の性能
を知ることはできないが。

 瀧上教授

5、「幕末佐賀藩における長崎砲台の見聞記録」佐賀市教育委員会世界遺産調査
室長 前田 達男氏・田口 芙季氏

 発表題目

すでに4回目となるが、佐賀藩の遺跡、資料、現物、などによる佐賀の大砲
鋳造、長崎の砲台遺跡の研究である。今回は、1幕末佐賀藩の反射炉
2、試射記録、3、長崎砲台配置に続き、4、長崎砲台見聞記録の内容で
あった。主に当時、長崎を訪れた外国人の記録によるもので、洋式に建造した
砲台ではあるが、実は至ところが和式であった。例えば弾薬庫の屋根。砲の架
台に焦点を当て、砲台壁にうまく隠れるヘルト・アホイル方式のことなど。

 前田氏

以上 (管理人記)

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