平成24年度9月度地方例会ならびに見学会報告

本年は青森市在住会員 平泉 喜久郎氏、会友 小笠原 康宏氏の御尽力で青森市浪岡城址、「中世の館」資料館、弘前城などにおいて、以下の内容で研究発表と見学会を行った。9月22日(土)、23日(日)、現地は天候に恵まれた。


会場の旧浪岡校と案内

会員参加は、足立 恒、宇田川 武久、川口 静夫、栗原 洋一、須川 薫雄、高橋 達郎、林 利一、峯田 元治、大木 賢一、中原 正二、江森 敬治、中原 蓉子、 盛岡からの会友、安田 隼人、菊池 正則、外川 靖博、青森地方会員・会友参加26名 、計41名が聴講した。



平泉幹事


(例会に先立つこと約1時間、青森市教育委員会事務局木村 浩一氏のご案内で、同地に16世紀栄えた南朝にゆかりのある北畠氏の文明、出土品を中世の館で、また城址を見学した。後述)

1、 例会

平成24年9月22日(土)出席者41名、司会進行 平泉 喜久郎

内容

①『浪岡城の概要と歴史等』    青森市文化財課 主管 木村浩一氏

浪岡城址は築城が応仁の頃と伝えられ天正六年(1578)津軽 為信により
滅ぼされた。城址は昭和15年、国指定史跡となった。昭和52年から
発掘調査を行い、5万点以上の遺物を発見した。敷地は長方形であり、四つの郭で構成され、20mほどの堀が複雑に隔てている。遺物は中世の館に展示されている。浪岡城は戦国期の山城ではなく、海岸段丘を利用した郭様式である。
現在は3割程度の調査が終了した段階である。城主は「浪岡北畠氏」で16世紀の京都の文書にその記載がある。南北朝時代、南朝方の北畠 親房の子孫ではないかと推察される。発掘調査の成果としては古くから存在した館であったこと、また陶器類から交易がこの地に直接日本海を伝わり行われ、鉄砲も伝来30年後にはこの地に来ていたようだ。遺跡はまだ7割が手つかずのままであり、「能楽館」などの新しい、発見が期待されている。

②『幕末津軽藩の海防と和流砲術の展開』 国立歴史民俗博物館名誉教授
日本銃砲史学会 理事長 宇田川 武久

最近の著書『幕末もう一つの鉄砲伝来』2012・9において関流宗家の歴史を通し、幕末日本の海防と軍制改革下における「和から洋」への砲術変遷を調べる機会があった。高島流 下曽根金三郎の関流入門(洋から和)への逆流現象、また津軽の海防対策を弘前市立図書館所蔵の20点の古文書の解析によりその方針、具体的な実施を調査した。その結果の19世紀になっての幕府の北方警備、海防政策のなかに組み込まれた津軽藩がいかにこれに対処したかが同発表の骨子である。

1 津軽藩流行の炮術諸流
寛政5年、長短反求流佐々木太右衛門の堺への300挺の鉄砲注文の記録から津軽の鉄砲の記録は明らかになる。流派としては岸和田流、稲富流、安盛流、南蛮関流、西洋高島流など、諸流が学ばれた。

2 海防の主体は和流であった。文化年間には大筒伝授、文化14年、南蛮目良流伝銃、など砲術が活発化した。それらの内容はどうだったか。津軽藩弘前には2門の鉄製小型艦載加農炮が存在していたそうで図面が残存している。(しかし炮はない)同じ炮がもう1門が存在し、それらはどこからきたか?また藩は藩内に外国船が侵入するのを防ぐために台場の建設、砲の鋳造にかかった。関流の系譜と津軽藩、また幕府全体の海防を述べて進行した。



この小型艦載砲と同じ図面だった。

3 二人の師範の経歴 (略)

4 砲術の刷新と造砲事業 文政8年異国船打払令を発布。天保15年、大間など津軽海峡を臨む地域の台場を増強した。その前年、藩主は台場を巡覧し、藩士が関流砲術入門した。弘化、嘉永年間には異国船が出没し、中には乗員が上陸した。津軽藩では大砲の製造を急いだ。(造砲事業の一覧)砲術指南の特徴は和流が西洋流を兼業したことだ。



③ 青森、岩手両県の古式登録銃参考        理事 須川 薫雄

例会を機に青森、岩手両県の登録銃に関しての問い合わせを行い、青森県登録は278挺(うち火縄銃230)、岩手県1,168挺(火縄銃1,020)の内容を報告した。各県各部は非常に協力的で良い情報をいただいた。登録は実情であり、それ以上深く研究する必要はないと言う理事長の言葉でその通りであろう。

④ 『津軽の変遷と浪岡城落城400年』        幹事 平泉 喜久郎

浪岡城の存在、その位置、意義、それ以前と以後。また近隣の松前、秋田氏の働き、発掘陶器の類。出土品リスト。交易ルート(北九州から北陸を経て津軽までの北廻り船の初期)北方を旅した人々などの紀行に関して。津軽は蝦夷への入り口であった歴史に関しての内容であった。


2、 見学会

①  22日(土)浪岡にて

「中世の館」資料室


例会に先立つこと約1時間、青森市教育委員会主管木村氏の案内で、同地に16世紀栄えた京都にゆかりのある北畠氏の文明、出土品を中世の館で、また近くの城址を見学し当時の様子の説明を受けた。城が外部からの侵入に備えて複雑な設計になっていること、館主体で瓦作りの天守閣はなかったこと、津軽氏に滅ぼされたことなどの実態を聴いた。中世の城は残ってない。遺跡を見学することでその建設、行動またそこに住んだ人の意識の一端を見た。
鉄砲伝来から30年、津軽の地にも鉄砲は来ていた(発掘された部品、弾丸から)津軽と日本列島南、中心からの交易ルートは日本海側で意外に早い伝来だったと言える。

盛土が塁でその先が堀、堀の中に複雑な橋があった。

夕、懇親会 市内ホテル17階展望レストランにて、中原博士ご挨拶

② 見学会 23日(日) 青森市内を出発、弘前城へ(約1時間半)

弘前城見学 主に宇田川先生のご説明で、津軽藩が鋳造したであろう和砲とその弾薬入れの箱、同藩製であろうゲベール銃などを見学した。


幕末、和流で作られたと推定される西洋的山砲とその弾薬箱などの装具車輪があったものであろう。下、和製ゲベール、やや小型で目当に特徴がある。

その後藤田記念館庭園にて休憩

弘前市佐和屋にて昼食後、解散した。

なお、平泉氏ご家族全員が会の会計、進行、ご手配、運転などご協力いただきました。感謝いたします。以上 (管理人記)