第386回平成24年度6月例会発表内容

日時:平成24年6月16日(土)午後1時より5時まで
場所:早稲田大学理工学部各務記念材料研究所
参加人員:会員30名、会友12名、学生1名計43名
司会進行:事務局峯田 元治
開演挨拶:理事長 宇田川 武久

1、 幕末の海防と反射炉 中小坂鉄山         原田 喬(中小坂鉄山研究会)
全国の反射炉を巡った。様々な謎があるが、幕末、日本が鉄を多量に必要になり各地に反射炉が造られた。その歴史の話だった。外国船は19世紀になり活発に日本近海に出没した。
その中でも1808年長崎フェートン号、1853年ペリー来航が大きな事件であった。

原田氏と韮山



その間、日本の各地、佐賀、薩摩、韮山、那河湊、釜石、萩、滝野川、安心庵、六尾、大多羅などに反射炉が建築されたが、果たして大砲鋳造は順調であったかが疑問である。
反射炉の操業自体が厖大な燃料と材料を必要とする当時の日本にとっては想像外の事業であった。興味深いのはすでに近世も時代を経ていたのか民間事業として安心庵、六尾のものだ。当時としては厖大な投資であっただろう。




「リェージュ砲兵工廠における大砲の鋳造」と言う資料が、1836年に入り、大砲鋳造は進歩した。
群馬県、中小坂鉄山は鉄鉱石が採取されるところにあった。遺跡としてまた鉄インゴットなどが残っている。ここから釜石に鉄を供給したほどだ。H型の斜面を利用した反射炉は鉄鉱と燃料を効率的に供給できる設計であった。この炉が公にならかったのは、開発が幕府小栗上野介の貢献であって、明治政府はそれをあからさまにしたくなかったからだ。
原田氏のお話では江戸期には日本の反射炉で製造した鉄材料による大砲鋳造は困難な作業であり、青銅砲が主たるものだった。

2、 安乗神社大筒の組織検討    中江 秀雄、峯田 元治、岡崎 清、安井 純一

三重県志摩郡の安乗神社に鳥羽稲垣藩の紋が入っている黒船来航期(1850年代なかば)の
和砲がある。赤いペンキで厚塗りされている。全長は170㎝弱、口径約90㎜、一貫目筒の寸法で、尾栓(外してあるが)があった。峯田氏よりこの砲、及び類似砲の尾栓のネジ切りの方式に関しての説明があった。洋式前装砲には尾栓はないが、日本のこの方式の砲にはさまざまな形式のネジ切りの尾栓がある。必ずしも合理的な方式で製作された部品ではない。

峯田氏


後半、中江氏より切り取った材質の検査結果が報告された。シリコンが低い、黒鉛が高い。
表面脱炭層に及ぼす内容をみると、表面だけを検査すると鋼と間違える恐れがある。

中江氏


光学顕微鏡組織、鋳鉄黒鉛形態のISOの分類、SEMによる破断検査面観察など、科学的な説明があった。砲の材料別に必要な燃料の量は青銅、鋳鉄、鋼、各々、青銅を1とすると
3、5くらいの比率になるそうだ。従って炭が燃料の時代には青銅しか多量には作れない。また歴史的には日本では青銅は奈良時代より多量に製造されていた。

3、 幕末佐賀藩における鋳鉄砲の試射記録 佐賀市教育委員会文化財振興課 前田 達男
世界遺産調査室室長

前田氏

江戸期の佐賀藩は長崎警護の任を負っていた。1808年のフェートン号事件来台場(砲台)の整備に力を入れ、港の内外両面の砲増強必要性に迫られた。今回の発表はその活動を文献により解析し、この事実を世界遺産登録出来ないかと言う視点から始まった。全ての内容は当時の文献に裏付けされたものである。砲を製造するには反射炉が必要である。反射炉事業の概略、築地、多布施両地区とその運営、そして製造した青銅砲と鋳鉄砲の数(ほとんどが青銅砲だった)。鋳鉄砲の破壊試験、試射の記録は興味深いものである。2重装填による試射、非破壊試射の手順の定型化、オランダ船砲手からの情報による手順など。反射炉の燃料は全て炭であったそうだ。安政元年に石炭を一時使ったが。結局、砲は150ポンド砲をはじめ大型砲は青銅製でそれら38門、鋳鉄砲9門、計47門の砲が長崎両島台場に設置されていた。この発表には「松乃落葉」と言う資料から多くの情報が得られていた。


宇田川理事長より資料によりこれだけの解説ができることは素晴らしいこととのコメントがあった。

世界遺産登録のために作成した小冊子



4、『鉄砲の普及と当世具足の出現』              理事長 宇田川 武久

日本の甲冑には中世から近世初頭まで5種類に分類される。戦闘において身体を防御する武装なので、戦闘のあり方でその形態も変化してきた。今回は、鉄砲が甲冑に与えた変化、具体的には『当世具足』と言われるものに関して実物資料から説明すると言う主旨だった。


鎧、腹巻、胴丸、腹当など一応の武器に対応した変化、騎馬か徒歩、などを説明された。鉄砲の普及、戦場への投入、伝播、そしてその規模の拡大、16世紀後半の戦闘は鉄砲が主流になった。徒歩打物戦闘から集団戦闘へ、そういう中で当世具足は生まれた。当世具足の特徴は鉄板を使い2枚胴、5枚胴となり兜が様々な形になった。豪華絢爛であるが実質的な防御になった。
天正年間以後、鉄砲が多量に投入されたので、当世具足は進化し、完成して江戸期を迎える。当世具足は鉄砲玉に効果があった。試し撃ちをさせても鉄板を玉は貫通しなかった。

会場内


今回の例会発表は、「反射炉から鉄材料」に関するテーマが3件あり、最後に武具の話が宇田川氏よりあった。いずれもレベルの高い内容であった。

4、 懇親会 午後5時―7時半
20名が参加し更に質問が議論が続けられた。次回が楽しみである。


懇親会の様子

その他:
外国からの訪問客として、例会にイタリア人研究家、ディビット・ラウロ氏が来られた。アメリカ、ノース・カロライナ大学で「日本の火縄銃」をテーマとして博士号を修得する予定で勉強をしている。


すでにスミソニアン博物館において修士号を修得した。要請により宇田川理事長が今後、彼の研究を指導することになった。
(以上管理人記)