ペリー提督の機密報告書・ペリー提督と開国条約

今津 浩一著 「ペリー提督の機密報告書」2007年 ハイデンス刊 221p
同      「ペリー提督と開国条約」2011年 ハイデンス刊 236p

今津氏はアルバート・マルシー著「アテナリーフォエィジズ」の訳者であり、
同書は「大砲の歴史」と言う題で発刊され、すでに本欄で紹介した。
同氏は日本企業現地責任者としてアメリカ合衆国、ロードアイランド州、ニューポートに数年間在住していた。同地が日本開国に大いに関係のあったペルー提督の生誕地であったことより、ペルー艦隊、1853年、1854年の日本来航とその詳しい経緯、また日本で「横浜黒船研究会」活動を通じての研究と日米両方の豊富な資料を駆使してこの2巻の本にまとめた。この2巻はシリーズではなく別な書物であるが、分けるなら「機密報告書」はペルー提督の来航の全体的な流れと具体的なエピソードを語り、「開国条約」は彼の来航の結末、日本との和親条約の締結の話、特に日本側の対応などで、重複するものではない。


○「機密報告書」は開国交渉の具体的内容を、アメリカの勃興する力を背景に太平洋の重要性、交易か人道か、日本開国を迫る理由を、ペルー来航20の謎と言う読みやすいQ&Aから始まり、日本の対応を本国に報告した内容である。
第1章 ペリー提督来航:20のなぞなぞ
第2章 ニューポート、ニューヨーク、ワシントン
第3章 第1次開国交渉―大統領書簡の受け渡し
第4章 日米外交戦略の裏事情
第5章 第2次開国交渉―日米和親条約署名
第6章 開国にまつわるエピソード


○「開国条約」はいわゆる和親条約の交渉過程、他国の動静、幕府の返答や対応、10艦120門もの大砲による大砲外交を日本がどう切り抜けたかという内容である。幕府の外国に対する知識、外交は稚拙なものではなかった、論理的、慎重であった。1953年のペルーの滞在は短いものであったが、翌年は4カ月間滞在、横浜に上陸し、条約の交渉、締結にこぎつけた。いずれにせよ、幕府は諸情勢から19世紀初頭より、この日のことは想定済みであったであろうが、体制の近代化が行われてなかったところに日本の混乱があった。
第1章 ペリー提督の対日交渉
第2章 日米和親条約の誤訳事件
補章 ペリー提督老中阿部正弘の黒船対策諮問に答えた日本人の提案
特に条約では、ペルー提督の19世紀帝国主義のはしりとしての本意、条約文の差異に触れている。その差異は意図的に作られたもので、日本国内の攘夷派には知られたくなかった点だったからだ。なお日本文条約は楷書でなく行書で書かれていた。日本にあった条約文は焼失し、原本はアメリカ合衆国公文書館にあり、3年前日本でも公開された。条約文本文、横浜開港資料館蔵、横浜黒船館蔵の絵画、錦絵その他ビジュアルな説明も他では見られない珍しいものが多く掲載されている。以上 (管理人記)